「人と人との友情は、
賢者でも結ぶのが難しいのに、
愚者はあっさりほどいてしまう。」
ウィリアム・シェイクスピア
「日本人の中には意見に食い違いが生じると
友情もそこまでと考える人が多い。
しかし、欧米人は、相手を友達と思えばこそ、
とことん議論し、
徹底的に思うところを説明しようとする。」
ソニー創業者 盛田昭夫
これ、見つけたときすげえドキッっとした。
偉大な先人が言ったのだから十二分信じれる。
「保険の話聞く聞かないのテレアポは人生の友人棚卸。」
これ、最後まで受け入れられなかった。
そもそも迷惑行為な上に他人の友情を
そんな無下に揶揄しないでね。
(ごめんなさい、過去の話です。)
さて、この記事では
“友達”
について話していきます。
心理学やコミュニケーションとかを趣味で
勉強することがきっかけで学び始めたNLPで、
今やいろいろなコーチング、カウンセリング技術を
身につけることが出来て、
最近は“自己探求”という細かな分野に
真剣に取り組んでいるんだよね。
探求のやり方は様々で、
ただ質問リストにこたえて見つけていく
一人でできるスタイルもあれば、
2人1組になってワーク形式も
取ることができるのよ。
僕はNLPについて資格を取ったから、
実力試しに自分でやってみた。
そしたら価値観の2~3位に
“友人”
って出てきたんだ。
最初はなんでか分からなかったけど、
よくよく思い出してみたら、
要因は十分にあった。
それからその影響は家族から受けていたみたいだ。

幼少期の出来事だね~。昔住んでた都内の実家で
おじいさんは町内会のドンだったから
商店街のいろんな人が大勢来て
毎回酒盛りしてて。
親父はよく会社の仲間を連れてきて
酒盛りしたり麻雀したりで
ドンチャン騒ぎしてたんだよ。
その光景は当時の僕からしたら、
ただ、ただ興味深かった。
だって、

大の大人が変な模様の入った四角いおもちゃ並べて
一喜一憂してるんだから。(笑)
坐かいた父の上に私も座り、その様子を暫く眺めてたんだよ。
その感覚は何というか、
大人たちの仲間に入れてもらえている、
なんだか不思議な嬉しい感覚でした。
それから「麻雀」って言葉は覚えてたからね。
いつか保育園の先生に「まあじゃんやって。」と
言ったそうだ。そりゃド肝抜くマセすぎ園児で
スーパービックリですよね・・・。
そんな賑やかな出来事が日常茶飯事だったから、
僕も家に友達をとにかく呼びたがっていた。
小学生にもなると毎回10人近くの友達呼んで
ゲーム囲ったり缶蹴りしたりで、
ある意味忙しかった。
振り返ると、友達を家に呼んで遊びたがる癖は
今に至るまである。
小、中、高、大。社会人になっても家に絶対友達呼んでた。
まさか、
“三つ子の魂百までも”って諺がドンピシャリで
当てはまるとはこれまで気づかなかった。
でもこの思考の辿り着き方には完全に納得がいく。
【序章】でも、夢にしてた想いでもあったからね。
そして、今でもこれは、どこかで必ず形を成すものだと
信じている。そうなった後はどうか、
学生時代の仲間はもちろん、
仕事を通じての人。NLPで出会った人たち。彼女の友人。
みんなに来て欲しいな。
最高の友は、私の中から最高の私を
引き出してくれる友である。
米国のフォード・モーター創業者
ヘンリー・フォード
僕にとっての皆が、そういった尊い存在です。